塚崎(つかさき)・大津ケ丘周辺
『沼南風土記』によると「昔、現在の大津ケ丘団地内の前原公園のあたりに、大きな塚があった。塚崎とは、大井側からみて、その塚の先(崎)にある地区というところから名づけられた」とある。塚崎は、縄文時代から平安時代にかけての集落跡や古墳がいくつか見つかっている。塚崎の地名が文書に記されるようになったのは、室町時代になってからである。江戸期には塚崎村になり下総国相馬郡に属して、当時から小金牧御用として、中野牧野役にあたっていた。
明治22年、風早村となり、昭和30年に沼南村、昭和39年には沼南町となった。塚崎の地名は字として残った。昭和53年、大井、大島田、塚崎の三地域にまたがって大津ケ丘団地が造成された。
国土地理院から1961年の塚崎・大津が丘周辺の航空写真
田畑や松林が広がる地域。大津ケ丘団地は、この5年後、昭和41年(1966年)に計画された。
国土地理院から1979年の塚崎・大津が丘周辺の航空写真
昭和53年5月に大津ケ丘団地は竣工式を迎えた。公団の住宅団地だけでなく周辺地域を含めて造成する土地区画整理方式で行われた。建設中は沼南台と称されたが、近くを流れる大津川から大津ケ丘と改称された。それに伴い大津ケ丘第一・第二小学校、大津ケ丘中学校が開校。
国土地理院から1989年の塚崎・大津が丘周辺の航空写真
塚崎をはじめ、周辺も住宅が整備され、現在とほぼ変わらぬ形に。
・小沼医院の隣にあった酒屋ってまだありますか?高校生の頃、学校帰りに良くアイスを買いに行ってました。
・なるみやって店だっけ?団地に住んでた頃よく行ったな~同じ通りにある団地のグラウンドの前のななほしって文房具とかお菓子とか売ってた店はまだあるのだろうか・・・懐かしい
・旧ミドリは 大津ヶ丘のマックの反対側にありました。その後、アルペンが移転して入居。それとヤマダの前身はオリンピック(スーパー)でした個人的にはオリンピック好きだったんだけれど、雑貨や自転車、ビデオデッキとか結構買っていました。あと、その近くのガリバーの前は文教堂(本屋)この辺の本屋では本も結構あったので重宝してたんだけどね。そういやカメラのきむらやもいつの間にかなくなちゃったね