柏競馬場
かつて柏には、「東洋一」とも称された本格的な公営競馬場がありました。この柏競馬場は、花野井の大地主吉田甚左衛門(よしだじんざえもん)の所有する約10万坪(約33万平方メートル)の土地に建設されました。開設の中心となったのは吉田氏一個人であったが、 その利益を町の発展に充てるという公営競馬のひとつの出発点ともなった。東京近郊の地の利を生かして競馬場を中心にゴルフ場、乗馬練習場、テニスコート、娯楽館などのレジャーランドを造り、柏一帯の町おこしにつなげようとの思いです。
柏競馬場オープン昭和3年1月着工された競馬場建設工事は、突貫作業が功を奏し、5月6日のオープンにようやく間に合った。この日は、入口に大アーチが立てられ、県畜産組合連合会では、第一航空学校に依頼して、宣伝ビラ5万枚を撤いた。コースは1周1600m・幅員30m。高級洋食店などが併設されるなど、「日本一の競馬場」と言われた。第一回柏競馬は3日間開催され、有料入場者51,236人、売上129,607円で、大成功を収めた。
競馬場はゴルフ場の一部でもあった。コースは9ホールで、合計3,085ヤードであったが、よく整備され評判は上々であったという。柏ゴルフ場をよく訪れたのは、当時農商務省の役人だった岸信介元首相、東京兜町の株屋仲問、中島飛行機製作所の役員、それに皇族もよくみえたという。
順調にスタートを切った柏競馬でしたが、昭和6年開設の市川競馬の影響や積極的な施設改善策が裏目に出て経営を圧迫し、また軍国主義の風潮も重なり、昭和14年からは軍馬育成のための軍馬鍛錬競争の競馬場にモデルチェンジします。しかしそれも戦争激化のなか、昭和17年を最後に競馬開催は打ち切られ、ゴルフ場も昭和18年1月をもって閉鎖され、跡には日本光学(現ニコン)の軍需工場が作られた。戦後、県営競馬場として復活しますが昭和35年2月を最後に船橋競馬場に引き継がれ、その幕を閉じることになった。
国土地理院から1944年の柏競馬場の航空写真
昭和19年の航空写真。軍事工場らしい施設は見当たらない。赤丸あたりに「柏競馬場前駅」があったらしいが駅舎は見えない。
国土地理院から1961年の柏競馬場の航空写真
、日本住宅公団(現・UR都市再生機構)に売却前の同地。かなり荒れ地になっているように見える。向原町に国鉄の平屋の官舎が建ち始めた。