柏駅東口
昭和45年に始まる柏駅東口市街地再開発事業は、駅周辺はもちろん、柏のイメージそのものを一変させる大改造事業。当時駅前広場は常磐線複々線化計画で極端に狭くなり、急激な人口増加も重なってバスやタクシー、乗客や買い物客でごった返し、交通はマヒ状態。商店街も駅前通りなどを除けば、老朽化した木造建築が密集し、防災や衛生上の問題が指摘され、都市の美観や商業振興の上からも東口の再開発が急がれていた。
柏駅周辺への大型商業施設の開店は、昭和48年(1973)9月の都市再開発法による柏駅東口市街地再開発事業の完成による。計画は高度経済成長の最盛期で、柏と周辺の人口増加に対応し、完了は高度経済成長後にズレ込んだ。駅前再開発以前の柏への中央資本の進出は、駅前の日本屋ビル(後のファミリーかしわ)に丸井が昭和39年に進出したことに始まる。丸井は「月賦」で売り出した。2番街には長崎屋と扇屋が昭和45年に開店(昭和55年閉店、現:新星堂)した。2番街には地元の京北スーパー、突き当たりの伊勢角の生鮮食料品が市民の人気を呼んだ。イトーヨーカ堂は再開発の前年の昭和46年に開店した。映画館の柏館(昭和3年に柏演芸館として開館、昭和43年閉館)、富士館(昭和28年開館、昭和48年閉館)などもあり、再開発以前の商店街は駅前通りが中心で、次に柏神社(天王様)が画する水戸街道沿いであった。商店街は地元の個人商店が中心であった。
国土地理院から1955年の柏駅東口の航空写真
柏の大火の前の柏駅前中央通りの町並みは、商店と住宅が混在していてすべてが木造建物。道路の舗装や側溝の整備、下水も完全ではなかった。
国土地理院から1961年の柏駅東口の航空写真
市制施行直後から、市の耐火商店街化しようという声があった。昭和30年4月組合が設立され、各方面へ働きかけがはじまる。柏の大火を契機として、昭和32年に柏駅前通りは区画整理も加えて8メートル幅を14メートルに拡幅し、ニ階建ての鉄筋モルタルの防火建築とアーケードが連なる近代的な商店街に生まれ変わった。
国土地理院から1979年の柏駅東口の航空写真
昭和47年(1972)3月28日に、再開発が始まった。バスや車を地上に、その上にはダブルデッキ(歩行者専用の広場)が設けられ、それを囲む形でそごうなど大型商業ビルが建てられた。柏駅に続く商店街もビル化し、街路樹が植えられ、思い出の街もさま変わりしてしまった。
・ユニオンの入ってるビル、建て直す前の建物が旧西友。数十年以上前、日曜日といえば親に連れられて地下で立ち食い焼きそばを食べていたものです。いまの新星堂の入っているビルが扇屋じゃなかったっけ? 昇りしかないエスカレーターは当時の名残。緑屋がいつなくなったのかは記憶がない。あと、そごうが進出する以前に、そごうフードっていう、そごうの食品専門のお店があったんですよ。輸入品やらちょっとした高級食材と、軽食を出すお店で、ちょっとおしゃれでした。
・二番街のHPを見ると、西友が柏の大型スーパー第1号(66年オープン)ですって。ちなみに67年に長崎屋、70年に扇屋が出店していますね。
・二番街の映画館って、パーラーコスモの上にありましたねぇ。まるで視聴覚室のような、ちんまりした映画館だったっけ・・。