今谷上町
南柏駅東口から十字路にでる。十字路は旧水戸街道で今谷上町である。駅から来た道の右側(西)が今谷新田、左側(東)が小金上町新田で、両新田の「今谷」と「上町」を合わせて新町名とした。地名は「今谷之助」が開いた土地から今谷新田となった。昭花園の三上家である。交差点にある稲荷神社は三上家の家神が村の鎮守になった。
国土地理院から1948年の今谷上町の航空写真
当時は当然田畑や雑木林が広がっていた今谷上町周辺。赤丸に囲った部分が今谷刑場跡であろうか。上部には野馬土手跡も見える。
国土地理院から1975年の今谷上町の航空写真
1953年(昭和28年)10月1日 に南柏駅開業。1971年(昭和46年)には東口もでき、今谷上町にも住宅が増えた。
今谷刑場跡
今谷刑場は今谷バス停先の今谷新田の墓地に、由来の石碑が建っている。石碑には「この刑場は、江戸末期から明治初期、 おそらく明治12年1月4日の絞首刑廃止の布告までで あろうか罪人の首を斬ったと言われていますが 現在はほとんど跡形もなく、わずかに山林として一部が残っているだけであります。 古老の話によると、明治の初期に近くに住む者で強盗を働いた男がとらわれ、ここで打ち首の刑に処せられたと言われています。 昭和46年12月に、現在の場所へ石碑を建立しました。 昭和41年4月1日に柏市指定文化財になりました。 昭和55年1月 柏市教育委員会 柏市文化財保護委員会」とある。
詳細はこうだ。
茨城の行商人が4、5人の者に襲われ、金品をうばわれた。強盗たちは全員捕らえられ、目かくしされ、手足をしばられていたという。それから二カ月ほどすると、高札が辻々に立ち、斬首の刑を施行するむね書かれていた。当日は、遠くからも見物人が集まり、刑場界隈は雑踏をきわめた。そして罪状の読み上げが行われた。罪状の読み吉が終わると、役人は「なにかいい残すことはないか」と聞いた。一番若い16歳ぐらいの男は「わたしの罪は一番軽いので、最後に切ってほしい」と懇願した。これに対し、役人は「罪の軽い者は先に切られた方がいいのだぞ」と答えた。死までの恐怖の時間が短いからである。一同はこの世への別れの杯に酒を注がれ飲んだ。少年は泣く泣く酒を飲みほすと、間髪を入れずに斬首された。今谷刑場での処刑は、この事件だけといわれている。
・バイク屋さん(オートサイクルヨシノ)は南柏の歴史的なお店。昭和37年当時の旧水戸写真(柏市役所提供)に江戸の名残りの松並木をバックに写っています。「富士自転車」の看板が見てとれます。
・南柏在住40年ですが、石碑が出来る前は今谷近辺に首のない武士の霊が出るって有名でした。