高田(たかだ)
高田にはウナギの水切場があった。布施河岸で陸揚げされたウナギは、ここで清水に浸して生気を取り戻した。それで水切場と呼ばれ、料金を取った家を水替屋と呼ばれたようである。
江戸期は高田村。2村に分けて上高田村・下高田村としていた時期も。高田村の北は台地で小金牧の高田台牧があった。明治初年に開墾されて十余ニ村になり、高田原(たかたっはら)と呼ばれた地区である。村と高田台牧との間に野馬除土手が多く、1500間(2.7キロ)もあったという。
国土地理院から1947年の高田の航空写真
大堀川を中心に田畑が広がる田園地域。野馬土手跡も見える。
国土地理院から1979年の高田の航空写真
宅地がされ。住民も増え、昭和52年(1977年)に柏中学校より分離し、柏第五中学校が開校。同時期に高田小学校も開校した。
国土地理院から1989年の高田の航空写真
市立図書館高田分館もでき、大堀川の改修工事もはじまり、遊歩道「大堀川リバーサイドパーク」に約4キロメートルにわたって桜の木が植樹されや緑地公園もできてジョギング・ウォーキングコースとして最適となった。大堀川にはコイやフナ、キジやカモ、白鳥などの鳥もやってくる。飼いきれなくなって放流したであろうカメなどの姿も見かける。
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