酒井根(さかいね)

光ケ丘団地内に首塚、胴塚がある。柏市教育委員会の「酒井根合戦場」の説明板があり、そこには酒井根の地名の由来も書かれている。酒井根合戦は文明10年(1471)12月10日、この地を中心に大田道灌と千葉孝胤が一戦を交わし、道灌が勝利したところである。 松戸市の本土寺過去帳に、「 文明10年匝瑳勘解由殿法名妙勘(そうさかげゆどのほうみょうみょうかん)高田、於堺根原打死(さかいねはらにおいてうちじに)」とあり、境根ケ原(光ヶ丘)付近で多くの人たちが討ち死にした。みんなが成仏したと。ここの地名は「堺根」とあるが、堺は境である。その意味は「境にある村の元(根、発生した)になるところ」である。酒井根は下総国葛飾郡と相馬郡の境であることから境(堺)根の地名が生まれた。境根が酒井根になったのは、合戦に勝った道灌が薬師堂近くの井戸水でノドをうるおした。その水が酒のようにうまかったので「酒井根」に変わったという言い伝えがある。

酒井根 1961年

国土地理院から1961年の酒井根の航空写真

当時は柏市立酒井根東小学校や柏市立酒井根西小学校はもちろん、柏市立酒井根小学校・柏市立酒井根中学校もなかった田園風景。

国土地理院から1979年の酒井根の航空写真

人口も増え、柏市立酒井根小学校・柏市立酒井根中学校ができ、さらに酒井根西小学校、1981年には酒井根東小学校ができる。

まちBBSの声

・ハセキョー(長谷川京子)が住んでたよ!。

・すばる書店裏の森にはタヌキ住んでたのに・・ 。

Comment Box is loading comments...
ページの上へ