南柏駅
南柏駅開設運動南柏駅開設前の常磐線利用者はほぼ旧水戸街道(以下水戸街道)から分かれる日光街道(日光脇往還)が分岐点となっていた。豊四季の人たちは柏駅、今谷上町の人々は北小金駅を利用した。両駅には約2.5キロの道のりであった。南柏駅の開設はこの地域の人々の悲願であった。
昭和28年10月1日に開業した南柏駅は当初は西口だけで、2面2線の対向式ホームであった。南柏駅開設前のこの付近は畑作農家が点在する近郊農業地域であった。戦後の食料難の時代は自給用の麦や甘藷が作られ、また現金収入のため大根、かぶ、ほうれんそう、ねぎなどの野菜が栽培されていた。駅は両側が畑の場所につくられた。駅舎は木造で、ホームに覆いはなかった。
国土地理院から1961年の南柏駅の航空写真
昭和32年に光ケ丘団地ができ、乗降客急増。団地住民の生活を反映して、日曜、祭日でも利用者の減らない駅だった。昭和38年12月、光ケ丘団地自治会から東口開設の請願が市長と市議会へ渡った。
国土地理院から1975年の南柏駅の航空写真
南柏駅は昭和46年の12月18日に橋上駅が完成し、それにともなって東口が開設された。常磐線の踏切は閉鎖され、光ケ丘方面へのバス路線は東口の発着となった。バス道路に沿っていた商店街はさびれた。水戸街道から駅東口に通じる道路と駅前広場は狭く、乗降客は、バス、タクシー、乗用車の間を行きかうなど、混雑が続いた。駅前は住宅展示場が正面を占めていて、本屋など数店あるだけで、商業施設は整っていなかった。それには東口区画整理事業までの長い歴史がある。
国土地理院から2008年の南柏駅の航空写真
2000年代初頭に大幅な都市再開発が始まり、キュア・ラショッピングモールやフィールズ南柏がオープン。同時に駅舎と直結するペデストリアンデッキが開通して東口は一変した。
・マッドハウス復活きぼ~ん。昔は駅前にストリップ劇場あったのだ。
・マッドハウスだっけ?バッティングセンターの下だったかな。時々電柱にマッドハウスの看板がでていたよね。
・マッドハウスは、1986年春には既に閉店していて、そのフロアは、お化け屋敷のようになってました。肝試しに行ってました。
・カルビア城懐かしい!高校生の時、当時の彼女とよくナポリタンとか食べに行ってたなぁー。見た目の怪しさとは違って、中は普通の喫茶店だった(笑)