柏の葉(かしわのは)
旧十余二飛行場跡。十余二飛行場ができる前は、このあたり十余二村の放牧場で、高田牧の一部であった。明治初年開墾され、戦後は米軍の柏通信所(キャンプ・トムリンソン)になった。昭和54年8月14日(1979)に日本側に全面返還された。そして千葉県立公園ができる時、1985年(昭和60年)に柏市立田中北小学校の教頭であった斎藤博孝によって「柏の葉」が命名された。
国土地理院から1947年の柏の葉の航空写真
昭和20年の敗戦とともに、十余二の旧陸軍柏飛行場は、食糧増産のための緊急開拓地となり、引揚者や旧軍人ら約140人が入植。地味や水利の良くない土地に陸稲・小麦、甘藷、落花生など限られた作物を作りつつ、農地へと転換させていった。ところが、昭和25年(1950年)朝鮮戦争が勃発すると開拓地は)、「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地が開拓地内に建設され、通信所用地として強制的に使用されることになり、農民の強い反対運動にもかかわらず昭和29年(1954年)に開設された。
国土地理院から1961年の柏の葉の航空写真
しかし昭和38年(1963年)、基地拡充のための国家買収問題が起こり、農業を続けることへの不安から多数の農民が土地を手放し、その結果開拓部落はほぼ消滅、大部分が国有地となった。
国土地理院から1979年の柏の葉の航空写真
昭和48年(1973年)3月31日には道路用地として一部返還され、さらに、昭和52年(1977年)9月30日には柏通信所の中心部を除く南北に分断された大規模な土地が返還された。残された土地は米沿岸警備隊極東支部の管轄に移り、原子力潜水艦へ核攻撃の指令を出すための通信基地ロランC局が建設される計画が発表されたが、地元各団体や革新勢力から核兵器搭載の潜水艦を支援する施設であり、有事の際は攻撃目標になる危険が高いとして強い反対運動が起き、また一方で周辺地域への電波障害を防止する手段を実施することが技術的・財政的に困難なことから、米軍はロランC局の建設を中断し、昭和54年(1979年)8月14日に全面返還に至った。写真で見るように変換された土地はかなりの荒れ地になっていた。
国土地理院から2013年の柏の葉の航空写真
現在は東大理工系大学院や国立がんセンター、県民プラザ、東葛テクノプラザ、つくばエクスプレスの「柏の葉キャンパス駅」もでき、「ららぽーと」もあって、駅を中心に大規模な開発がさかんにすすめられていて、柏の新しい顔「柏の葉地区」として大きく変貌している。