小青田(こあおた)・柏たなか駅
幕末の頃、流山とその周辺には駿州田中藩の飛地が一万一五〇〇石ほどあり、いま流山市立博物館のある加村台地の加村役所がそれを管理していた。田中藩は静岡県藤枝にあって、幕末の頃は四万石の譜代大名本多家が領有していた。飛び地でとれる年貢米は、みな加村河岸の倉庫に集められ、高瀬船に積まれて江戸へ運ばれた。この米は、江戸の米相場を動かすほど良質で、俗に「本多米」と呼ばれ、いつしか加村河岸は本多河岸と呼ばれるようになった。本多氏は代々善政を施したらしく村民の評判もよく、本多領が領地替えになったとき、村民たちは連名で留任嘆願したという。そんなこともあって、町村合併したとき遺徳を偲んで田中村としたということである。
国土地理院から1975年の小青田・柏たなか駅の航空写真
旧田中村、柏市北部の農村地域。小青田(こあおた)と読む。以前は路線バスのアナウンスなど「こおだ」と呼んでいた記憶。
国土地理院から1989年の小青田・柏たなか駅の航空写真
昭和55年(1980年)に県立柏北高等学校が開校。しかし、2007年に千葉県立柏西高等学校と統合し閉校した。
(C) Googleから2015年の小青田・柏たなか駅の航空写真
2005年につくばエクスプレス田中村にちなんだ名称「柏たなか駅」が開業。柏北高跡地には柏たなか病院ができた。
・田中地区に住んでいますが、あまり、方言やなまりは聞きませんね。船戸や大青田辺りの奥地に行ったら分かりませんが・・・
・奥地に行かずとも昔から地元に住んでる農家とか年配~それ以上の人なら普通に今も「ぶっくす」とか「しゃんめー?いしゃ あー?」とか言ってるよ。田中の言葉は千葉とも成田方面とも違う、茨城に近い感じがする
・利根川挟むと守谷と柏でイントネーションが全然ちがくて、柏は、守谷みたいに濁音化しないって言うけど、利根川一本挟んで、そんなに変わるのだろうか?