根戸(ねど)

根戸は下総台地の北西部、大堀川の北に位置し、手賀沼に沿って我孫子市に跨っている。中世には相馬氏の所領であり、根戸城があった。相馬氏など千葉氏一族は妙見菩薩を信仰していた。妙見菩薩とは北極星と北斗七星を神格化したもの。現在、国道六号線沿いには北星神社がある。参道の奥には一対の亀と扉には九曜星の紋がある。 ここ根戸の地名の由来、根は十二支の子、戸は北斗七星の斗からきている。 安政2年(1855)の検地では戸数96戸、人数561人と記されており、明治6年には102戸、617人に増えている。

嘉永六年(1853)6月ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航した。そのとき日本中、上を下への大騒ぎ、幕府は開国要請に応ずべきか否か諸藩に問うありさまであった。里船の来航以前に異国船に対する備えを充分にせよと通達はしていたものの、目の前に大砲を積んだ黒船の威力を見せつけられ完全に度肝を抜かれてしまった。危急存亡の幕府は急遽江戸湾品川沖に最大級の砲台を11基築いて対抗することにした。今のお台場である。 この砲台建設用の木材は根戸村から切り出されていたのである。当時根戸村は幕府直轄の天領で「御林」があった。来航から二カ月目の八月から国防のため御林の松・杉15578本を伐採している。丸太は日の丸の下に「御用」と書かれた旗を荷車につけて幕府の荷であることを示した。布施村の河岸場まで運び船に積み替えて利根川を上り、関宿を経由して江戸高輪へ送られた。根戸村の切り出しは文久の頃まで10年ちかく続いたという。

根戸 1961年

国土地理院から1961年の根戸の航空写真

まだ貨物駅ですらなかった現:北柏駅周辺の根戸。1979年建立の源遠寺もまだない。

根戸 住宅地図

(C)ゼンリンから1973年の住宅地図

根戸 1984年

国土地理院から1984年の根戸の航空写真

昭和40年前後に、アサヒ飲料、市川毛織、伊藤ハムなどの工場が建ち、昭和45年に北柏貨物駅ができ、そこには資材などが運びこまれ、製品が出荷された。北部地域の開発・発展があり、昭和46年4月20日に地元自治体などの請願により、常磐線複々線使用開始に合わせ旅客駅でもある北柏駅が開業した。

まちBBSの声

・20代から30代の方、「やっこぱん」という言葉知ってます? ビニールボールやテニスの軟式ボールのことをこう言うのですが、柏独特の言葉なのかな? 小学生のころ(20年近く前)、「今日の帰りやっこぱん野球やろうぜ」という感じで使ってました。その後、引っ越したのですが、新しく出来た友達はみんな知らないと言ってました。あと最近知り合った松戸出身という同僚も知らないらしいです。松戸と柏は隣なのに・・・。

・我孫子ですがこっちでも「やっこぱん」ありましたよ。ちなみに、柔らかい=やっこいでしょうが「ぱん」は何でしょう。あと、ボールのことも「やっこぱん」、それで遊ぶ手打ちの三角ベースのことも「やっこぱん」

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昭和12年、高野台に駐屯した高射砲第二連隊の跡。高射砲とは、敵航空機の攻撃から自軍を守るためにつくられた火砲。営門、歩哨舎は、元は布施入口の交差点付近にあったものを営門の門柱の一部を高野台児童公園に移築、保存されている。
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【住所】柏市松ヶ崎字腰巻457-1他