柏市と戦争

太平洋戦争(第2次世界大戦)終結まで、日本国内には「軍都」「軍郷」と呼ばれる都市・地域が存在していた。昭和期に入ると、「国土防空」特に「帝都(東京)防空」の緊要性が説かれるようになり、帝都の防空飛行場の設置が議論されるようになった。

「帝都防空」のための飛行場建設を急ぐ陸軍が目を付けたのが、牧の跡地である柏周辺。首都の30km圏も大きな理由だった。昭和13年11月に柏飛行場が完成。以後、柏飛行場は「帝都」防空の第一線の航空基地となり、昭和12年10月に高射砲第連隊本部、昭和14年には柏陸軍病院(現:柏市立病院)などができ、柏は軍郷と呼ばれるようになった。

秋水の燃料貯蔵庫秋水の燃料貯蔵庫の通気管

現在、当時を偲ばせるものはほとんど残されておらず、旧陸軍飛行場正門やのこんぶくろ池近くにある飛行機を上空から識別できないようにする「掩体壕」、花野井、大室にロケット戦闘機「秋水」のための燃料庫の通気やガス抜きのための6本のヒューム管などがわずか残されている。

市域への主要な部隊などの配置

年月日 事 項
12 12 17 柏に、憲兵隊の分遣所ができる。
13 01 25 柏飛行場(東部105部隊)建設が始まる。
13 11 24 市川市に置かれていた高射砲連隊が、柏に移転が始まる。
13 11 29 東京にあった航空部隊が、柏に移転。その後、いくつかの航空部隊が移転してくる。
13 12 中旬 陸軍航空部隊の分廠が置かれた。
14 04 15 柏陸軍病院(現在の柏市立病院)が開院。
15 02 20 航空教育隊(東部102部隊)が、柏に移転。
16 気象台柏工場が設立された(後に中央気象台付属気象技術官養成所〔気象大学校〕も設置された)。
18 8 このころ、歩兵第二補充部隊(東部83部隊)や工兵補充部隊(東部14部隊)が市内に駐屯開始。 このころから、日立製作所柏工場、東京機器工場柏工場、日本光学工業柏工場等の軍需工場が、次々と 建設され操業が開始された。
19 藤ケ谷飛行場が建設される(現在の海上自衛隊下総航空基地)。
20 第93師団が司令部を東亜外事専門学校(現在の麗澤大学)に開設。

柏市と周辺の空襲(昭和20年3~8月)

月 日 事 項
3/04 松ケ崎に焼夷弾投下(B29か)され、8戸17棟全焼。
3/10 東京空襲により、市域にも灰が降る。
柏飛行場の高射砲、B29を2機撃墜。
5/08 日立製作所柏工場、米軍戦闘機の機銃掃射を受け、防空監視員が2人死亡。
5/25 初石にB29墜落。
米軍戦闘機、田中村の航空隊にロケット弾攻撃。格納庫炎上。
5/26 東京空襲により、市域にも灰が降る。
5/30 B29、我孫子・取手間の堤防に墜落。柏消防団員、乗員を2人捕まえる。
6/ B29、福田村に墜落。乗員、正連寺付近に降下。田中村民が捕まえる。
7/ 大室の防空監視施設が、(米軍機より)機銃掃射を受け、警備団員が死亡。
8/06 (米軍機の)機銃掃射により気象台技術官養成所学生数人が負傷。
8/10 米軍機の機銃掃射により、女子学生1人が死亡。
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