昭和の柏市
柏市誕生
昭和29年(1954)4月5日、県は東葛飾郡を五ブロックとする合併試案を策定、柏ブロックは田中村・柏町・小金町・土村の4町村でした。そして9月1日、その4町村が合併し東葛市が誕生した。しかし東葛市という名称はわずか数カ月で終わる。昭和29年11月15日、市の名称変更に関する条例により、東葛市は柏市と変更された。
柏駅東口の再開発
柏駅東口再開発前の駅前広場は狭く、ビルは右側に日本屋ビルがあるだけであった。駅前と駅前道路に沿って、二階建ての商店や住宅が並んでいた。駅前広場は東武バスがやっとターンできるほどの広さで、都市的雰囲気はなかった。駅を出た左側にはトイレがあり、臭いがたちこめていた。柏駅ホームには、常磐線電車はチョコレート色の上野~取手間の各駅停車の電車が止まるだけで、茨城方面からくる中距碓電車(赤電)は通過した。
昭和30年(1955)2月25日未明、当時の市役所裏手の既製服製造工場から出火、折からの四メートルの北西風と水の便の悪さが重なり、本町通り(旧水戸街道沿い)を挟んで全焼43棟、半焼・半壊6棟、33世帯が焼け出されました。市役所は辛うじて難を逃れましたが、年末商戦のさなかに中心街を襲った大火は地元に大きな衝撃を与えました。東口駅前通りでは、早速翌年から道の両側を広げて歩道を設け、防火帯としてブロックの耐火建築に改築するなどの防火対策が進められました。
昭和47年(1972)3月28日に、柏駅東口前の太陽生命の建物がこわされた。再開発の始まりである。そして、東武バスの小さな待合所、その近くの伊東パン屋、川久呉服店など、表側と路地裏の木造平屋二一階建の民家が大型機械でこわされていった。建設用の囲いには大成建設株式会社の名が書かれてあった。起工式はそれ以前の3月18日に行われ、4月1日から本格工事がはじまった。
再開発反対の運動も起こりますが、車と歩行者を分離するダブルデッキ(二段式広場)が昭和48年10月に完成しました。スカイプラザ(A棟)そごう(B棟)とダブルデッキを挟んで国鉄(現:JR)貨物構内跡地に丸井をキーテナントとし地元77店舗が入居する共同ビルファミリーかしわも開店。また一足早く2番街アーケードが5月に完成。明治29年(1896)12月25日に柏駅が開通したが、長い間、駅の出入口は東口だけであった。西口が開かれたのは昭和31年(1956)12月である。柏駅西口は開駅丸60年目にできたのである。そこに高島屋が西口進出を決めて、動き出すのは昭和45年(1970)年1月。そして西口に高島屋がオープンした昭和48年2月2日には15万人の客足を数え、こうして東西を自由通路で結ばれた柏駅周辺は一大商業圏を築くことになった。